自己紹介その2

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さて、ここで紹介する料理の1品1品は、
最初からこの形だったわけではなく
年月を経て変遷をとげ今の形になりました。
今後も変わっていくものもあると思います。

砂糖、塩、醤油や油などの調味料、
あわせる食材、薬味、火を入れるタイミングや強弱、料理の手順など、
私のそれぞれのステージ
(こういうと私が常に進化しているように聞こえますが、
全くそういうわけではなく、
単純に人生に翻弄されるその時々の私ということです)
に合わせて変化してきました。

さてさて、全然関係ない話のようですが、
仏陀のことを中国語で释迦牟尼佛といいます。
辞書的な意味で言えば、
释迦牟尼佛といえば仏教の教祖ね、となるのですが、
わたしの場合は・・・・・・仏教よりもなによりもあの頭とヤブ蚊を想起します。

というのも、
以前台湾の父母と一緒にハイキングで出かけた際、
ヤブ蚊に頭全体を刺され、義母が
ぼっこぼこになった頭皮を释迦牟尼佛(仏陀)の頭と形容したことがあるからです。
それ以来、释迦牟尼佛と言う言葉によって、
秋の日に森の中でBBQをした思い出が、その景色や温度や湿度が、
頭中螺髪になってぴょんぴょん飛び跳ねおお騒ぎした義父母とともにありありと思い起こされるのです。

なんか、例えがあれなんですけれどね、
何がいいたいかというと、
言葉、単語ひとつひとつと自分との関係に歴史があるように、
レシピもひとつひとつに歴史があり、思い出があると思います。
そして、レシピと言うものの性質上、
それは料理という形で再現をすることが可能で、
嗅覚と味覚という最も記憶と密接に繋がるところから
記憶や感情を呼び起こすことが出来るのです。
それは言葉から想起できる思い出よりも
もっと強烈で、感覚に訴えてくるものだと思います。

大げさなものいいは好みませんが、
レシピは、私自身が生きてきた軌跡を反映したものであると思っています。
そんな”大それたもの”をここに載せる理由のひとつは、
私が今までいきてきていまが一番幸せで、
それがいつまでの続くのか分からないけれど、
なんとか形に残しておきたいというエゴからなのです。

わたしの経験からいうと、人は幸せなことほど忘れてしまいます。
嫌な思い出は何年も覚えていますし、
何十年前のことを”思いだし嫌がり”し、
再度落ち込んだりして。
何十年前のことで思い出し笑いとか、
しないですよね、
私はしません。

でも、”思い出しにっこり”くらいはしたいです。 

何となくですけれど、私、将来ボケそうな気がするんですよね。

(とほほほほ)

ボケはもともとですが、
最近階段を登ったり降りたりすると、もうその前に考えていたことを忘れます。

(しくしくしく)

今までの人生では自分から進んで忘れたいことを記憶から排除するように努めてきましたが、
最近は忘れたくないこともどんどん頭からすり抜けてどころかに置いてきてしまいます。
なので今は必死に脳の老化に抗っています。
そして、記録をしています。

脳ではすっかり忘れてしまったことを、五感で覚えていることってあるじゃないですか?
そういうわけで、
料理のレシピというものは私の今の記憶とともに保存できるものかもしれない、という思いから、
ほんとに他人からするとどうしようも無い理由なのですが、
今のレシピを残しておくことにしました。

そして、後付けではありますが、
ここには私が美味しいと思う料理しか載せませんので、
これを見てくれた皆さんが作ってくださり喜んでもらえたら、ありがたき幸せです。

(続く)