袖振り合うも

よく拝見しているブログに、学校関係やママ友との付き合いのことが書かれていました。

日本にいると、付き合いで飲み、付き合いでランチ、
属する社会でうまくやっていくためには、そういうのが必須、
みたいになっていて大変ですよね。

カナダでは、その点、少し楽だな~、と思います。
カナダの学校で一番よいのは、

■親同士の面倒くさい付き合いが少ない

■子供の手作りバッグとか名前つけとかそういう(不器用な私にとって)面倒な作業をやらなくてよい

もうこの二点だけでね、カナダ移民してよかったと思います。
お子さんのいる方で、
家庭科の授業でエプロンやらスカートやら、
自分で作り終えられたためしがないよ~、
(↑わたし)という人は、カナダ移民、ぜひ検討してみてください。

さてさて、話を元にもどして、
人のつきあいに関して。

カナダでは前述の通り、日本ほどごちゃごちゃ面倒くさい集まりはないですが、
児童館などで子供を遊ばせているときに、
やはり何かしら会話をしないと変な感じになったりします。

それに、子供が大きくなるにつれ、やれプレイデートだのパーティーだのと
子供の友達の親とも接点を持つようになります。
知らない人ですし、正直面倒くさかったりもしますが、
そうやって知り合ってのちに
家族ぐるみでお付き合いさせてもらうようになったこともあります。

どこの社会でも
自分の好きな人や友人とだけ付き合うってことができたらいいのかもしれませんが
そういうわけにも行かなかったりするんですよね。
日本だったら、会社の飲み会や子供関連の集まりで、
知らない人やあまり関係のなさそうな人と2時間、おしゃべりをしなければならない辛さ。
シンドイですよね。
カナダでも会社の飲み会っていうのは、たまーにあるようですが、
うちの夫なんかは、そういうのは時間の無駄、といいきり、避けられるものは避けているようです。




ときに、人との出会いというのは面白いですよね。
卒業と入学、転勤や転校、結婚、出産、など色々なきっかけによって、
身近にいる友達は変わってきますし、ずっと付き合い続けてくれる友達もいます。

高校のときにとても好きだった友人がいましたが、
もう連絡が取れなくなってしまいました。
わたしも相当な不精で、
進んで自分から連絡を取り続けようとするほうではないので、
自業自得といえばそうですし、
そうかというと、Facebookで昔の友人と繋がったなんてこともあるので、
世の中どこで繋がるのかわかりません。
昔の友人と連絡がとれないことに寂しさを感じることもありますが、
だからといって、あの時に仲良くしていたことが無駄だったのか、というと、
わたしはそんなことは無いと思います。

もっというと、
イヤイヤ参加した学校関係の集まりで、よく知りもしない人と
2時間、頑張って会話を探し、なんとか耐え抜いたとします。
これは、時間の無駄なのでしょうか?
もっといい時間の活用ができたはず、かもしれません。
短期間で考えると、そう、なのかもしれないですが、
もしかしてその2時間の会話で得たものがきっかけになって、
ものすごい事業に成功して将来大金持ちになるかもしれないじゃないですか?

え?ありえない?わたしもありえないと思いますけど、

けれども
そんなことって誰にも分からないと思いませんか?

わたしは自分が選択して行った行動に対しては、
すごくポジティブな考えをします。
(ネガティブに見えますが、私の中身はポジティブです)
面倒くさい集まり、「行かない」というのもひとつの選択ですし、
本当は行きたくないけど、でも行くという決断をしたら
ちょっとその間しんどくても、
色んな因果がめぐりめぐって良いことが訪れるかもしれません。

人との出会いというのは本当に不思議なものです。
わたしの場合は、
自分が困難に陥っているときに、不思議とそれを助けてくれる人が
ちょうどいいタイミングで現れたりします。

高校生のときのその友人は、ただ私のそばにいて、
夢みたいなことばかり言っていましたが、色々なことに嫌気がさしていたわたしも、
彼女に癒され励まされ、無事に学校に通い続けることができました。

雲南の山奥で山越えに失敗し、遭難しかけたときには、
現地の少数民族の人が一晩自宅に泊めてくれました。

カナダにきてうつ状態になりかけていたときに、
隣町で日本人と思われる人を見かけたので話しかけてみたら、
偶然同じ町、アリストンに住んでいる駐在員の奥様で、
その後、何年も精神的にも物質的にも助けてもらいました。

その駐在奥様である友人を通して、同い歳の日本から移民してきた女性と知り合い、
同じ時期に第一子を出産、それから互いに子供の成長を確かめ合い、
慣れない育児中の精神的な支えになってくました。

でも、今はみな、私のそばにいません。

出会うきっかけはまちまちですし、分かれるときもまちまちです。
それでも本当に、自分は出会う人に助けられて、今まで生き延びてこられたなあと、
ただただ、人の縁に感謝しています。
そして、その人たちとの思い出が私の内面を今でも豊かな色彩で彩ってくれています。

他の人に助けてもらえることを前提にはしていないですが、
私もかなり無茶なことをしてきたかもしれません。
うちの夫は、わたしを他力本願、ラッキーの塊、といい、
自分は他人に迷惑をかけたくないから、自分が強くなると言っています。

そんな彼は結婚後、どんどん強くなって、
いつもわたしを助けてくれています。(笑み)
宇宙をつかさどる偉い人が、
お前のような人間は、こういう人が必要なのだということで、
またうまいタイミングで
この人と出会わせてくれたのかもしれません。
それとも、単なる偶然なのかもしれません。
どちらにしても、ありがとう。わたしはますます迷惑をかけますが、
彼ももう少し私に迷惑をかけてくれてもいいのになぁ、と思ったりもしています。

一応、一生連れ添う誓いをしたこの人との出会いも、
別にそんなに行きたくもない友人の友人(つまり、知らない人)の誕生会に参加してみたことがきっかけでした。
その話はまたいつか書きますね。

またごちゃごちゃ書いてしまいましたが、
いつどこで、どんな縁があるか分からないから、
もし、あまり積極的に行きたくないような集まりがあったとしても、
いかなくてはいけないのであれば、
逆に面白い出会いがあるかもしれないのだから、
楽しんで行ってきたらいいのかなー、と思ったりしたという話です。

長い独り言になりました。読んでくださってありがとうございます。