傷つくことの理由を知る

突然ですが、みなさん、自分のことってどれくらいよく知っていますか?

私はそれなりに自分を見つめてそのつど内省してきたつもりですが、
私と正反対の性格をもつ夫、この人のお陰で、
今でもたまに、驚くような自分の内面を発見することがあります。

他者というのは自分を映す鏡だと思います。
自分で自分のことって見えているようで実は全然わかっていない。
他人との関係性のなかでしか自分のことって案外気づかなかったりします。

だれかにこんなこと言われて傷ついたとか腹が立ったっていう経験、
皆さんもあると思います。
怒りというのは自分の外に向かい、
悲しみというのは自分の内面に向かうけれども
本質的には一緒のことなのですね。

この怒り兼悲しみスイッチ、
やっかいなことに些細なことで突然入ってしまうことがあります。

一度はいると、
怒りが出る人は、
ひたすら相手の非を責め、
悲しみに入る人は
自分を責め相手を恨むような気持ちになるでしょう。
ひとことあっちが謝ってくれたらな、
そうしたら前に進めるのになどと
というように考えるようになります。

こういうことって誰にでもあると思うんですけど、

なんであいつはこんなことを言うのだろう、
なぜもっと優しくできないのだろう、

なぜ、なぜ、と悶々とした気持ちになってしまいますよね。

でもそういうときに、
解決を相手側に求めてしまうと、問題って永遠に解決しないと思うのですよ。
だって問題は実は自分の中にあるのだから。

すごくシンプルな例なのですが、
小学生のときにこんなことがありました。

わたしはやせっぽっちだったんですけれど、
自分の体格を特段意識したことはなかったわけです。
ところが男子が私に、ある時はでぶ、ある時はガリガリ、などと
といってからかったんですね。
でもぜんっぜん傷つかなかったわけです。
(バカなやつだと思いましたけれど)

藤井聡太五段に、
やーい将棋下手~!といってみても、
相手にされないと思いますが、そういうことです。

しかしこれが、
自分の体格にコンプレックスをもっている子に
(実際の体格がどうであれ)
同じ言葉を浴びせたらどうでしょう。
深く傷つくと思います。

つまり、
自分の中に、
怒りのもととなる要素、種みたいなものがあるかないか、
ということなんですね。

本当に解決しないといけないのは実は自分自身の問題だと思うのです。

なぜ相手がこんな傷つくことを言うのか、

ではなくて

なぜ相手の言葉に自分はこんなに傷ついたのか

なぜ相手は私をこんなに怒らせるのか、

ではなくて

なぜ相手の言葉に自分はこんなに激怒したのか

不安や怒りや傷ついた心の真相はなんだったのか、
自分が相手にも求めているものは何なのか、考えてみたらどうでしょうか。
それが単なる承認欲求であることは意外と多かったりするんですよ。
それなら、なぜそんなに認めてもらいたいの?
という話になります。
自分で自分を認められないから?自信がないから?
なぜ自信がないの?
こんなふうにどんどん掘り返してみる。

このスイッチって、
そんなことを考えるきっかけになるのではないのかな、と思います。
相手を責めたり相手に謝罪を求めたりしても
結局その時は自分の気持ちは多少晴れるのかもしれませんが、根本の解決にはなりませんもの。

相手を変えようと説教をしたりあの手この手でアプローチしても、それは相手の受け取り方次第。
相手が自分の非を認めなければ最悪関係が悪化してしまいます。
相手側が自分自身を変えたいと思っていなければ、
何も変わることは無いでしょう。

一番の近道は自分。

自分と向き合い自分を変えていくこと。

私自身それに気づいたのは結婚してからです。
夫を通して見た自分って、自分の思っていた人間とちょっと違っていたんですよね。
”恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる”
なんてリヒテンベルグがいっていますが、
この視力が戻ったときに直面することっていっぱいあります。
そのときに、相手のことはもちろんそうなのだけれど、
自分のことをよーく見つめたほうがいいですよ!

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拝読しているブログに最近「会話と対話」という投稿がありました。

恋愛感情など単なる入口に過ぎない。その向こうを見据えることが出来てこそ関係はなり立つ

最初から完璧な相手、完璧な関係などあろうはずがない、会話ではなく対話の中で作り上げていくしかない

そのとおりだと思います。

実は男女間だけでなく、親子でも、他人同士でも同じだと思います。

どうしたらお互いの関係を向上していけるのか、そのために自分の出来ることは何なのか。
自分の課題に向き合い、できればそれを双方でシェアすること、
そして共に努力をすることで、関係性がポジティブに変わっていくのじゃないかな。

もし逃げられるのならみんな楽な道をえらびたいから、
相手とも、自分と向き合うことからも逃げるでしょう。
でもそれでは永遠に何も変わらないのでしょうね。
他者という鏡がうつしてくれた自分の姿が
どんなものなのか、自分が思っている自己像とは意外とかけ離れたものであるかもしれませんよ。

他者と一緒にいても 自分を見ず、
都合のいい自分像しか認めていなかったら、
結局自分自身がよく分からない苦しみの中でもがくことになる。
他人を責めて、自分の人生を他人に預けるということは、
結局は自分をはじめ誰とも向き合えずに
何もわからないまま自分自身にも距離感を感じてしまう。
究極のひとりぼっちになってしまうよ。

(*ただし、物理的精神的な虐待をふるう他者や、
自分のことを利用するだけの他者に悩まされているのであれば、
それはよく見極めて、距離をとることをお勧めします。
くれぐれも支配被支配、共依存関係にならないようにね!これは地獄ですよ!)

追記) 自分へ/とても傷ついている誰かへ
矛盾しているかもしれないけれど、
物事はなんでも解決できると思わないほうがいい。
ちゅうぶらりんの状態で放置したほうがいいときだってある。
時が経過してなんらかのきっかけでそれが解決されるときだってくる。
全てのことにあまり神経を尖らせないで、
鈍感になってみる方法も一時的には必要だったりもするよ。
そして一番大事なのは自分を好きになることなのでしょうね。

I am short, fat, and proud of that. – Winnie the Pooh

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