それでもまた母になりたい

子らを学校に送っていった帰りに友人に出くわした。
つるつるとおぼつかない足元の中、話すのもなんだったので
うちに誘ってみたら、待ってましたとばかりに彼女は車に乗り込み一緒に我が家に向かった。

車の中でも、とにかくしゃべる。
わたしは、とにかく聞く。
友人はうちの夫の女版みたいな性格なので、
私とはまるで違うのだが、何故か
時間ができると学校の送り迎えの帰りに我が家にふらりと寄っては、
台湾烏龍茶を飲みながら2時間ほどしゃべり倒して、帰っていく。

彼女は大変な努力家で
どんな困難でも自分の力で乗り越えてきたし、
そうしなければならないという信条の持ち主で、
そのためにいつも相当なストレスを抱えている。
私の「なるようにしかならないさ精神」を
少しでも分けてあげられたらいいなと思うし、
十分頑張っているんだからあとは神様に託して楽になりなよ、といいたいけれど、
そういうことは、責任感のかたまりであるこの種の人たちが一番嫌いなことを知っているので、
私も思っているだけで口には出さない。

今日もいつもと同じ、庭に面した窓際の席に座り、
お茶を一口飲むと、いつもと同じように外に目をやり、「まどかの家で飲むお茶が一番美味しい」、と一息つく。
窓の外は一度溶けた雪が夜の間に再び凍りつき、キラキラと美しかった。
いつも忙しく走り回っている彼女は、うちを癒しの場所にしてくれているらしい。

話題はたいてい子供達のことにはじまり、
それから家庭のこと、最後には自分自身の半生について、涙を零しながら話す時もある。

自分の”正しい”を真理として一方的に押し付けてくる母親の厳格な教育の元で、
抑圧されて育ってきた彼女は”いい子”であり続けたいあまり、
自分の人生を歩んでこられなかった、
祖国を離れ親を離れカナダにやってきて
やっと自分の自由を手にいれたと語る彼女だが、
親孝行出来ない自分を責めているであろうことが言葉の端々からわかる。

子をもってからは反面教師で、
自分のようにビクビクと親の顔色を伺う子になって欲しくないという思いで、
子供と対話をしながら彼らの意思を尊重し、
何事も自分の意思で決断させているという。
けれど子供と向き合うとなぜか母親の顔が浮かび、

「なぜ母は自分の話を聞いてくれなかったのだろう、

なぜ罵る前に、抱きしめてくれなかったのだろう。

わたしが今、子にしている事をなぜ母はしてくれなかったのだろう」

そういう怒りがふつふつと湧き上がって来るのだという。
親の元を離れ、自由に生き出したつもりが、
未だにこのしこりが自分の中で解決されないどころか、増大していることに気づいたのだ。

母から自由になりたい。

「永遠に自分の番が来ないのか、って思う。」

彼女は母親の呪縛から逃げられないことを呪い、
子供を羨みながら自分の番がめぐってこないと嘆いた。

自分と母親の関係を繰り返したくない彼女は続けて、
小5になる娘さんの教育の難しさについて語ったあと、
息子は可愛い、男の子はいいと頬を緩ませるので、
質問してみた。

「じゃあ来世というものがあるとしたら、
次は男に生まれたい?」

いつもテンポ良く話す彼女の返事がない。

「また同じ女がいいの?」

ふーん、と大きく息を漏らしながら彼女は

「やっぱり女に生まれたい」

と答えた。

「出産がしたい。」

それを聞いて、私は子がもたらしてくれた幸せの大きさを思った。

玄関でハグをすると、「ちゃんと暖かいものを食べて運動をするのよ」、といつもの台詞をいうと、
足元をシャリシャリいわせて足早に車に乗り込んだ。

1人になってから私は、私の都合の良い神さまにお祈りした。
どうか彼女が
自分の出番待ちをしているうちに人生が終わってしまわないように、
あなたが導いて下さい。

こんなことを夜中に書き留めながら
台湾烏龍茶のカフェインの威力を思い知るなう。烏龍茶、たった四杯で。。。とっぴんぱらりのぷう。
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